当ブログをご覧の皆様こんにちは。再び、久々のK.Iです。
前回の投稿から随分間が空いてしまいましたが、これは私(K.I)が以前の記事でも紹介した、施設外実習先の工場での作業が、つい先日まで平日の業務のほとんどを占めていたためであって、決してサボっていたわけではありません!これだけは断言できます(泣
さて、皆様もご存知かと思われますが、この前の3月11日の昼頃に、4年前、日本中を震撼させた”東日本大震災”によって失われた、多くの人々の命を追悼する集会が各地で催されました。それらの映像をTVで見る度に、私はあの大地震が起こった瞬間と、その後に見た光景を4年経った今でも鮮明に思い出します。
その日、私は自宅で「ミヤネ屋」という昼の情報番組を、家族全員で見ていました。その途中、突然、自宅が今までに無く大きく揺れ始めたため、私は慌てて家族と共に食卓の下に逃げ込み、その揺れが収まるのを待ちました。
その時にテレビの中の映像で見た、「ミヤネ屋」の司会者である宮根氏がテレビの向こうで大きな揺れのために転倒しかけていた場面、そして、その揺れが完全に収まった直後に恐る恐る立ち上った宮根氏が見せた、極度の驚嘆と混乱が入り混じった表情は、たった今大規模な地震が起きた事を非常にリアルな形で私に伝えてくれました。
その後、私達家族は大きな不安を覚えながら、TVの前で各局のニュースをひたすら確認していました。そして、数多くの緊急速報が流れる度に映っていたのが、東北各地の海岸に押し寄せる大津波と、それらがものすごい勢いで幾つもの道路や町々をいとも簡単に飲み込んでいく光景でした。
あれから4年経った今、ブログと言う形でこの記事を書いている私ですが、その私自身といえば、時が経つにつれ、あの震災について思い出す事が徐々に減ってきているように思えてなりません。この事に気づき、同時に危機感を覚えることができたのは、幸運であったと同時に今だからこそ必要なことだったのではないか、と今更ながら思っております。被災者と同じ国で、今尚平穏に生きている私のような人間が彼らのためにできることは、あの大震災を過去の置物とするのではなく、あの時に少しでも自分たちの中で芽生えた、あの感情を未来のために忘れずにいることなのだと、私は確信しております。
少し長くなりましたが、これからも私、K.Iをよろしくお願いいたします。
それでは、また。
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あの震災から4年が経って
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